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ひろぬた 忙しい
1871年(明治4年) - 大洲県、新谷県となり同年11月15日宇和島県となる。
1872年(明治5年) - 神山県となる。
1873年(明治6年) - 愛媛県となる(現在の香川県の地域も含まれていた)。
1878年(明治11年) - 浮穴郡を上、下に分け小田郷各村は上浮穴郡に加える。各村に戸長役場を置く。
1889年(明治22年) - 町村制の実施により上川村、中川村、本川村を合併、参川村。大平村、日野川村、町村、寺村をあわせて小田町村。立石村、南山村をあわせて石山村。吉野川村、中田渡村、上田渡村、臼杵村を合せて田渡村となる。
1963年(昭和38年)1月 - 百年来の大雪(38豪雪)
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Neo-Confucianism
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1. 心即理 ― 陽明学の倫理学的側面を表すことば。
朱子の心を「性」と「情」に分別する
「性即理」の反措定として唱えた概念
「性」とは天から賦与された純粋な善性を、他方
「情」とは感情としてあらわれる心の動きを指し、
「情」の極端なものが人欲といわれる。
朱子は前者のみが「理」に当たるとした。
「理」とは人に内在する理(=性)であると同時に、
外在する事事物物の「理」でもあるとされる。つまり
「理」の遍在性・内外貫通性が朱子学の特徴であった。
しかし王陽明は
「理あに吾が心に外ならんや」と述べるように、
「性」・「情」をあわせた
心そのものが「理」に他ならない
という立場をとる。この解釈では
心の内にある「性」(=理)を完成させるために、
外的な事物の理を参照する必要は無いことになる。
この考えはやがて外的権威である経書、ひいては
現実政治における
権威の軽視にまでいたる危険性をはらんでいた。
なお王陽明の「心即理」は基本的に陸象山のそれをトレースしたものであるが、
陸が心に天理・人欲という区別を立てなかったのに対し、
王陽明は朱子と同様
「天理を存し人欲を去る」という
倫理実践原理を持っていた点は異なる。
2. 致良知 ― 陽明学の方法論的側面を表すことば。
「良知」とは『孟子』の「良知良能」に由来することばで、
「格物致知」の「知」を指すが、
「致良知」はそれを元に
王陽明が独自に提唱した概念
「良知」とは
貴賤にかかわらず万人が心の内にもつ
先天的な道徳知(「良知良能は、愚夫愚婦も聖人と同じ」)であり、また人間の
生命力の根元でもある。
天理や性が天から賦与されたものであることを想起させる言葉であるのに対し、
「良知」は人が生来もつものというニュアンスが強い。
また陽明学において非常に動的なものとして扱われる。
そして
「致良知」とはこの「良知」を全面的に発揮することを意味し、
「良知」に従う限りその行動は善なるものとされる。
逆に言えばそれは「良知」に基づく行動は
外的な規範に束縛されず、これを「無善無悪」という。
王陽明は
「無善無悪」について、以下に掲げる「四句教」を残した。
無善無悪是心之体−善無く悪無きは是れ心の体なり
有善有悪是意之動−善有り悪有るは是れ意の動なり
知善知悪是良知−善を知り悪を知るは是れ良知なり
為善去悪是格物−善を為し悪を去るは是れ格物なり
これは、理そのものである心は善悪を超えたものだが、
意(心が発動したもの)には善悪が生まれる。
その善悪を知るものが良知にほかならず、
良知によって正すこと、これが
格物ということだ、というのが大意である。
なお善悪を超えたといっても、
孟子的性善説から乖離したというわけではない。
ここにおける「無」は単なる存在としての有無ではなく、
既成の善/悪の観念・価値からは自由であることを指す。
しかし誤解を招きかねないことばであることは間違いなく、この解釈をめぐり、
後に陽明学は分派することになる契機となり、また
他派の猛烈な批判を招来することにもなる。
3. 知行合一 ― 良知の有り様)。
ここでの
「知」(良知)とは端的に言えば認識を、
「行」とは実践を指す。
陽明学に反感を持つ朱子学者や日本では
誤解され実践重視論として理解されたが、これは本来の意味からずれた理解である。
心の外に理を認めない陽明学では、
経書など外的知識によって理を悟るわけではない。
むしろ認識と実践(あるいは体験)とは不可分と考える。
たとえば美しい色を見るときのことを例に取ると、見るというのは
「知」に、好むというのは「行」に属する。
ただ美しいと感じてその色を見るときには、
すでにして好んでいるのであるから、
「知」と「行」、つまり認識と体験とは一体不可分であって、
両者が離れてあるわけではないと王陽明は説く。また
「知は行の始めにして、行は知の成なり」とする。
これが「知行合一」である。
道徳的知である
良知は実践的性格を有し、また道徳的行いは
良知に基づくものであって、もし「知」と「行」が分離するのであれば、
それは私欲によって分断されているのだ、とする。
朱子学では「知」が先にあって「行」が後になると教える
(「知先行後」)が、「知行合一」はこれへの反措定である。
4. 万物一体の仁と良知の結合 ― 良知の有り様。
「万物一体の仁」とは、人も含めて
万物は根元が同じであると考え、自他一体とみなす
思想である。
元々は程明道に見られる発想であるが、陽明はそれを良知と結びつけた。
陽明は自らを含む万物はいわば一つの肉体であって、
他者の苦しみは自らの苦しみであり、
それを癒そうとするのは自然で、
良知のなせるものだとした。
ここに陽明学は
社会救済の根拠を見出したのである。
5. 事上磨錬 ― 自己修養のあり方。
朱子学においては読書や静坐を重視したが、
陽明はそうした静的な環境で修養を積んでも
一旦事があった場合役には立たない、
日常の生活・仕事の中で
良知を磨く努力をしなければならない、と説いた。
これが「事上磨錬」である。
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