ふっかけて自らの利潤のみ追求
当時、日本の会社がメジャーと示し合せて出光興産に限られた量しか売らないといった状況を受け、佐三さんはメジャーではない所から買うために米国に行きました。しかし、その購入先もメジャーに押さえられて行く中で、遂にはメキシコやソ連(ロシア)、最終的にはイランに供給先を求めて行きました。佐三さんは、日本人として外資に牛耳られない民族系石油会社を維持して行くとは一つ大事なことだと考えられていたのです。そして結局それにより日本国民により安く良質な石油を提供出来る、といった時代であったわけです。