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韓国:北朝鮮 が 交戦!
をいをい
こわいよ
鎖国・開国
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「自主の邦」という文言を入れる
イギリスの旅行作家イザベラ・バード
関連記事光武改革について 著書『朝鮮紀行』
1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて、
4度にわたり最末期の 李氏朝鮮(朝鮮王朝)を訪れた旅行の記録。
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朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ
少数の人々をのぞき、新しい体制にとって
まったく不都合なもので、改革のひとつひとつが
憤りの対象となった。
官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、
ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、
全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、
改革には積極的にせよ消極的にせよ
反対していた。
政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でも
スケールこそそれより小さいとはいえ、首都と
同質の不正がはぴこっており、
勤勉実直な階層をしいたげて
私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。
このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の
浄化に日本は着手したのであるが、これは
困難きわまりなかった。
名誉と高潔の伝統は、あったとしても
もう何世紀も前に忘れられている。
公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、
朝鮮には階層が二つしかなかった。
盗む側と盗まれる側である。
講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343
ロシア国境近くはマシで
関連記事半島でも他国の文明の導入が可能であることを示唆
発展に興味を持つ者も少数はいた
関連記事ものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなる
という私利私欲のために改革に反対していた
堕落しきった官僚制度の浄化に着手したが、
それは困難きわまりなかった
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