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05/22(mon)10:31わらし ) 株式会社ゴトー・サン * …といえばサン・レンズの思い出
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水曜日
11月 2011
Posted by 80sourdecade in All Posts, カメラ, レンズメーカー, 未分類≈ コメントする
タグサンレンズ, レンズメーカー, 株式会社ゴトー・サン
sun-200mmf2-8 – サン200mm F2.8…こんなレンズを、非常に安価に販売していました。
現在、日本でレンズ専業メーカーというと、ほぼタムロン、トキナー、シグマの3社に絞られた感があります。
MFの時代のレンズメーカー製レンズというと、タムロンはマウント交換式、他社は固定式を採用していましたが、鏡筒自体は同じでマウント部分だけを各メーカーに合せて作っていたのですが、AFになると、各メーカー用に、鏡筒から作り変えてやる必要が出てきた関係で、結果、資本力の有るメーカーのみが残った訳です。
1980年代初頭に私がカメラに興味を持ち始めた当時は、今とは比べ物にならない位多くのメーカーが存在していました。
サンというメーカーは、かなり古くから存在していた様で、60年代初頭のカメラ雑誌の広告にも、その姿を見ることが出来ます。
正式な社名は、株式会社ゴトー・サンと言いました。私がこのメーカーを最初に意識した理由は、200mmF2.8というレンズを作っていたからなのです。
当時の私は、キヤノンのニューFD200mmF2.8が欲しかったのですが、10万円と、当時の感覚ではプロ用レンズそのものだったのに対して、サンのそれは、3万円台の定価が付けられていたのです。
それで田舎町のカメラ店を何軒も回ってみたものの、サンのレンズを扱っている店はありませんでした。
当時のカメラ雑誌でも、レンズメーカーの、しかも単焦点レンズなんかをテストレポートする事は無く、実物も見たこと無い、正に幻のレンズだったのです。
このレンズは、現在ネットで作例を見る事ができますが、結構良い描写だった様ですね…。同じレンズが、ソリゴールのブランドでも販売されていた様です。
そして、このメーカーのもう一つの特徴は、日本カメラショーの総合カタログが、とにかく魅力無かったことです。
他社の場合、其々のレンズのスペックの他に、説明が書いてあったものですが、サンの場合、レンズの写真が並んでいて、その下にスペック表があるだけで、コレじゃね・・・・なんて思ったものでした。
当時はインターネットなどある訳も無く、ユーザーの意見を聞く訳にも行かず、通信販売などというものも、一般的とは言えませんでした。
そんな中で、私の興味は、メジャー系に行く訳ですが・・・それを再び意識したのが、高校2年生の頃だったと思います。サンのレンズが物凄く安く売られているのが、頻繁に雑誌に出ていたのです。
「在庫処分」という言葉と共に、7割、8割引という、大安売りだったのです。只でさえ安いのに、どう考えてもコレはおかしい・・・と思い、総合カタログに記載されているメーカーに電話をかけてみると・・・・繋がりませんでした。
そして、安売りをしている店に問い合わせると、やはり倒産したということでした。
1980年をピークに、日本の一眼レフ生産量は、減少に向かいました。それは、カメラというものが人々の憧れでは無くなり、無理してまで買い求める製品では無くなったこと、コンパクトカメラがAF化したお陰で、其方に顧客を奪われた・・・といった理由もありました。
その他にも、第二次オイルショックによる世界的な景気の冷え込みといった理由も有ったことでしょう。
最近知った話では、株式会社ゴトー・サンは、あの大沢商会の子会社で、その少し前に大沢商会が倒産、それによる連鎖倒産であったということです。
以降、時を同じくして、マキノンも倒産し、所謂廉価版メーカーの淘汰の時代が始まったのでした。
それにしても、この手のレンズメーカーの情報は、本当に少ないものですね・・・。
尚、このメーカーは千葉の大網白里を起源としており、そこの広報誌に、その起源の歴史が紹介されています。
広報 大網白里 >>
05/22(mon)10:36わらし ) オリンパスOM2SP スポット・プログラム * …といえば25 水曜日 1月 2017
Posted by 80sourdecade in All Posts, オリンパス, カメラ≈ コメントする
タグオリンパス, ズイコー, 米谷美久, OM2SP, OMシリーズ
Olympus_OM-2_Spot_Program.jpg
オリンパスOM2SP スポット・プログラム
オリンパスがOM4とOM3でマルチスポット測光を確立させると、その次に投入したのが、プログラムAEでした。
私が早々とオリンパスを捨てて、キヤノンに移行した理由は、既にプログラムAEを達成しており、マウントが完成している様に思えたからで、事実、後のT90のあの高度なメカも、一切マウントに手を加える事無く、達成しています。
ソレに対して、ボディー側からレンズの絞りを駆動する機構を持たないオリンパスは、遅かれ早かれ行き詰まるのは目に見えていたからでした。
オリンパスOMシリーズというと、あの米谷美久氏の設計で有名でしたが、自分自身がユーザーであることもあり、アクセサリー群の互換性が大変に上手く保たれているのが特徴でした。
そんなオリンパスだからこそ、時代の要求であるプログラムAEを達成するのに、マウントに手を加える事無く達成したのが、84年に登場した、このOM2SPだったのです。
シャッターを押すと、ガバナーを介して絞り込み、所定の絞り値に達した所でロックが掛かり、後はその絞り値に対して、TTLダイレクト測光で絞り優先AE的にシャッタースピードを決める、言ってみればミノルタやニコンが採用していた「瞬間絞り込み測光」の一種でした。
ミノルタもニコンも、この瞬間絞り込み測光を達成する為に、マウントに手を加えていますが、オリンパスの場合、従来のレンズでそのままプログラムAEが使えるのが特徴でした。
ただ、オリンパスOMマウントには、開放F値を設定する機能が無い為、レンズの開放F値によって、プログラムラインがシフトしてしまうという問題も、同時に抱えていました。
そしてマウントは変更していないとは言っていますが、非公表ながら、この時期、絞りの設計を変更しているそうです。
更に、名前の示す通り、スポット測光も内蔵されていますが、コチラはマルチスポットではなく、通常の一点スポットで、マニュアル時のみになります。
オリンパスは、TTLダイレクト測光を柱にしていた関係上、AEロックが使えません。それ故に、スポット測光はマニュアルのみ・・・という事になったのでしょう。
先のOM3とOM4は、従来のOM1、OM2に比べ、かなり割高な機種で、直接の後継機とは言えませんでした。そこで、このOM2SPが登場した訳ですが…。
どうも孤高の存在として輝いていたOM2に比べると、イマイチな雰囲気がついて回った気がします。シャッター音一つ取っても、OM2のソレと比べると、何とも間延びした感じがしたものです。
更に完成度が高いとは言えないプログラムAEの導入も、どこか安っぽいイメージを与えてしまった気がします。
後にOM40が、更に安い価格でプログラムAEを内蔵したことも、このカメラを中途半端な立ち位置にしたことでしょう。
どうせなら、完成度の低いプログラムAE無しで、OM2にスポット測光を内蔵した様なカメラ「OM2S」にしていれば、また評価も違ったのかも知れません。
後にOM4は、OM4Tiになり、OM3も一度生産中止後にOM3Tiとして復活し、長年生産されたのに対して、OM2SPは短命に終わっており、オリンパスの中でも、無かったことにされてしまっています。
新たに出た上級機種に侵食され、新たに出た下位機種にも侵食され、更に自身のイメージもイマイチ…定評ある機種のモデルチェンジの難しさを端的に表した例だと言えるかも知れません。
あとは当然、翌年登場したミノルタα7000の影響も大いに受けたことでしょう。
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